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<title>「自己と世界」の問題―絶対無の視点から</title>
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<description>旧来の実体的哲学を包摂し、しかもそれらを愛や慈悲で生かす、現代にふさわしい宗教哲学としての西田・西谷哲学を基礎として，「自己と世界の問題」が論究されている。
 また、自然、科学、技術の解明の発展に伴...</description>
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旧来の実体的哲学を包摂し、しかもそれらを愛や慈悲で生かす、現代にふさわしい宗教哲学としての西田・西谷哲学を基礎として，「自己と世界の問題」が論究されている。
 また、自然、科学、技術の解明の発展に伴う、生命倫理をも含む現代の宗教哲学的、倫理学的諸問題が、自らの立場の絶対否定を意味する「絶対無」のパラダイムにおいて究明されている。更に付録には、ここに至るまでの著者の「心の遍歴」が掲載されている。

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<title>“知”のオントロギー―現代思想の構図</title>
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<title>“現代の全体”をとらえる一番大きくて簡単な枠組―体は自覚なき肯定主義の時代に突入した</title>
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この著者は元「分析」系の人です。でも分析系が、認知科学とかとぐずぐずになって、その不毛さに耐えられず、現代思想に首を突っ込んで、これもダメだみたいな感じで、現在にいたった人なのです。哲学が「学問」ではない、というのはセンセーショナルな意味ではなく、単純に「ハードサイエンス」と比較して、体系化が不可能である、つまり再帰性が限定的で、その（科学的）水準に構造的に到達する可能性がない、という著者の判断から来ています。ただ、これは「学問」という言葉の定義の問題に過ぎないので、その意味では正直どうでもいいことです。この認識の重要さは、「人間」の「原理」やら「正義」の「普遍性」やら、そんなものを追及しても、他者を抑圧し、大量虐殺を引き起こすしかないですよ、という著者の認識と連続しているのです。著者は、「哲学（思想）」を「科学（学問）」として扱うことの危険性を回避しつつ、その有用性を現代社会に生かすには、どうすればいいのか、という問いかけから出発します。そして、それは猥雑さの肯定主義というか、プラグマティックな「思想の活用法」として結実するのです。ですから著者の「民主主義」に対する肯定には、崇高な哲学的な概念などは存在しません。著者はこうした身も蓋もない思考は、現在の状況下において、もっと幅を利かすべきだと思います。自分の曖昧なアイディアを全体化させようと躍起になって、他人の思考の脆弱化ばかりを狙っている揚げ足取りのうまい自称「思想家」の人々の間に、「脱臭剤」として置いておきたいものです。ただこの人の「肯定主義」って、どこかで「自虐史観」に対する「新しい教科書を考える会」のスタンスとシンクロする匂いがしたりするのだけれど、気のせいだろうか･･･ とてもいい本だし、破壊力もある。しかも、それこそちょっと気の利いた高校生ならラクに読みこなせる、易しい言葉と、スッキリした論理で書かれている。 著者の主張はp175に、これ以上ないほど簡潔明瞭に述べられている。要するに「普遍的な正義と真理の実現という積極的理想は放棄しよう。民主主義制度の枠組みの中で、人類の共存・共栄に向けて地道な努力を続けよう」ということ。 著者自身も自覚しているように、主張そのものは別に目新しいものではない。しかし、これも著者がp166で述べるように、れを｢『哲学の不成立』という事情と『肯定主義』という現実の潮流にしっかり関連づけ」て論じている点が、本書の魅力。しかも韜晦とは一切無縁な、議論そのものに淫することのない、まっすぐな言葉で綴られている。それがどんなに貴重なことか！ まともに受け止めれば、現在の思想界に棲息する大半が、自ら恥じて筆を折ることになるはずだ。 でも、そうならないんだろうなァ。みんな密かに読んで、読んだことには口を噤み、読まなかったことにして、でもこっそり自分の立ち位置をずらしながら言論界を処世していくんだろうな。アイツも、アイツも、アイツも…（それとも逆ギレして、本書のシンプルさをナイーブさと曲解して叩くか？ あるいは狡猾にも、声高に本書を推薦したりして、自らのアリバイとするか？） また他方で、すでに著者の主張を体現する形で、尊敬すべき仕事をし続けているアノ人、アノ人、アノ人の名前も脳裡に浮かぶ。 読むべき本です。 誰もが薄々感づいていながらやりすごしていた身も蓋もない事実・「哲学は学問にはならない」を確信犯的な単純さにおいて明らかにした書物。もちろん、これまでにも哲学を内部から批判し、哲学の解消や脱構築を目指した書物はあった。しかし、それらは結局学問としての哲学の延命装置としてしか機能しなかった。本書の確信犯的な「身も蓋もなさ」は、それら中途半端な哲学批判さえも痛打する。後半はもう背中しか見えませんでしたが、約三千年を一気に走りきるその脚力に茫然。
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<title>「教養」とは何か (講談社現代新書)</title>
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「教養とは何か」という問題系をめぐって議論は進まねばならないはずだが、必ずしも議論の道筋とは関係のない話に導かれることがあまりに多すぎる。「ヨーロッパの事例を紹介するだけで」は意味がないと主張しながらも、ハーバーマスやトーマス・マン、フーゴーなどをこれでもかと引用・紹介するのはまだしも、それが必ずしも著者の設定した「教養とは何か」という問いに結びつくわけではなく、せいぜいがドイツの中世もしくは近代における「教養概念」をなぞるだけにとどまっている。竹林の七賢人の故事やアイスランドの『サガ』についても詳しく引用がなされるが、それがどのように著者の主張する「教養」と結びつくのがはっきりしない。読者としては、著者がシナの賢者や古代の叙事詩に深入りすればするほど議論の道筋を見失うばかりである。論題との関連を必ずしも詰めたわけではないままに、調査したことをそのまま並べているような印象がある。議論が拡散して迷宮に入りそうになると強引に「教養」と結びつけてみせるが、ほとんど説得力はない。いわゆる教養論としてではなく、著者得意の中世文化論として読むなら興味をかきたてられる人もいるかもしれない。前著「世間とは何か」の続編である。

  世間とは、比較的狭い範囲の人と人とのつながりであり、
  人が生きていくための精神的、物質的生活基盤であり、
  ときに個人の自由や生命に犠牲を強いるような存在である。

これが前著でいう「世間」である。
前著では、個人の自由や尊厳を圧迫する存在として「世間」を取り上げたが
本書では、養の母体としての世間を取り上げている。

教養人といえば、古今東西の文献に通じている人、というイメージがあるが
それは個人の教養のことをいうに過ぎない。
教養が本来人と人との関係を離れて存在しえないことを考えれば、
教養とは、集団、共同体の中でこそ価値をもつ知識であり、
集団の価値観である。これが「個人の教養」に対する「集団の教養」である。

たとえば農村でいえば、
作物を育てるために季節や天候、肥料などの知識が
長年かけて村に蓄積されるが、
この暗黙知、非言語知が「集団の教養」である。

  生半可な学問は鼻を高くさせるばかりで百害あって一利なし

というある農夫の言葉を取り上げているが、
世間にあっては、個人は世間を離れては存在しえないから、
教養をつんでのち、また世間のなかで暮らしていくほかない。
従って、世間の中に生きる日本人に必要な教養は、
小難しい西洋哲学などではなく、まず、世間の暗黙知なのである。

と、たぶん、こういう論旨だと思う。

自然科学の論文のように三段論法になっているわけではないので、
著者の阿部氏の意図が理解できたかどうかは自信がないが、
自分なりに納得するところはあった。

普通の評論家や作家の書いた文化論とは一線を画す。
万人にお勧めできるほどフレンドリーではないが、
本物の学者が一般向けに、
しかし手抜きをせずに書いたという点がいい。
読み応えは十分にある。  大学入試に出た。問題まるまるこれだった。入試の２年ぐらい前に読んだので、内容はほぼ全て脳から流出していたが、問題はさほど苦労もなく解けた。 浅羽通明の本でこの本にふれていたので読んでみたが、率直に言って内容の半分も理解してたか怪しいと思う。 言い訳がましいけどむずかしい本だと思う、この本は。かなりの知識と経験がないと本当には理解できないと思う。 読む時期が早すぎた本。 我々は「教養」を、何か小難しい学説であるとか文学である、となぜか思い込んでいる。そしてそうした「教養」崇拝は、実はなまじ本など読まない人よりも、むしろ多く読書をしてしまう人種にこそ顕著な傾向かもしれない。それは煎じ詰めれば単なる知識の蓄積である。特に明治以後「教養」とはすなわち外来、と決め込んでしまい、さらに戦後も単なる知識蓄積の学校システムで育てられてきた我々日本人にはそうである。 著者はその豊富なヨーロッパ中世史の知識から、このような教養の現状をみつめなおそうとする。そもそも西洋中世において教養とは、職業選択の自由を得た都市民が「私はいかに生きるべきか」と問うたことから始った。それは真剣な生き方の指針の模索としての作業だったのだ。日本には古来から「世間」というものが存在した。それは今も厳然として存在する。だが我々は一度として学校で「世間でいかに生きるべきか」の知識など教えてもらえなかった。西洋直輸入の民主主義のタテマエだけであった。阿部氏は、実は日本における教養を、我々の現在における教養を模索しているのである。その試みは本書姉妹編「世間とは何か」から繋がっている。 やたらに本を読んでしまう人は本書を一度読むことをオススメしたい。
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<title>〈宗教化〉する現代思想 (光文社新書)</title>
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<description>《「真理」に近付きたいという欲求》・・・。
《プラトンが「真理（アレテイア）」という言葉で表しているものには、
「正しさと「隠されていないこと＝露出していること」の二重の意味がある》。
《「洞窟の比...</description>
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<![CDATA[
《「真理」に近付きたいという欲求》・・・。
《プラトンが「真理（アレテイア）」という言葉で表しているものには、
「正しさと「隠されていないこと＝露出していること」の二重の意味がある》。
《「洞窟の比喩（プラトン）」を、ギリシア的な「アレテイア」観が、
西欧近代を特徴付ける「真（正）／偽」の二分法の「真理」観へと移行していく第一歩として位置付け》た
ハイデガーの講義『真理の本質について』の解説が秀逸。
《（科学的・理論的な）「正しさ」と結び付いた「真理」観は近代的なものであり、
ギリシア語の＜aletheia（アレテイア）＞においては、
「正しさ」よりも「隠されていないこと＝露出していること」という意味のほうが優勢》
《「（現時点で）隠蔽されているもの」と「（現時点で）顕わになっているもの」の間の
相関関係で決まってくるものであって、"究極の正しさ" ということではない》。
《「疎外される以前の自然な状態があった」という想定自体が、イデオロギーである》。
《"我々" の世界には、純粋なものはあり得ない》。

《二項対立図式（「真（正）／偽」）抜きで、どのように世界を理解したらいいのか？》
《自分たちを規定するものを知ることが、それとは異なる "何か"の可能性を知ることに繋がる》。
《思案を重ねた挙句、結局、もとの二項対立図式に戻ってきてしまう》ことに、
自覚的な「哲学」。ともすれば忘却しがちな「宗教」。久々のヒットでした。そもそも「哲学って何？」から始まり、「形而上学とは？」等々、これまで「聞いたことあるけど、よく分からない」言葉を分かりやすく解説してくれてます。また、プラトン、デカルト、デリダ等、「聞いたことあるな〜」程度でしかなかった哲学者の特徴についても説明しており、はたまたキリスト教、マルクス主義、左翼、右翼等々についても著者なりの経験も交えて分かりやすく説明してます。

そして本書で最も興味深いのが、これら宗教、哲学、思想の結びつきを説明していることでしょうか。私は別にキリスト教でもなく、信心深い訳ではないのですが、普段の思考の根底に如何にプラトンやキリスト教の影響を受けていたかを知りました。

昨今の、政治思想的に右や左の人たちの言説が、まるで偏狭な宗教の教義に則っているかのように見えることを指摘した上で、

そもそも、体系的で包括的な「思想・哲学」というものが、いかに「擬似宗教」となっていくのかを、現代思想に大きく影響を与えているハイデガー、ハンナ・アーレント、デリダなどの言説を使って、明らかにしていく。

偉大な哲学者・思想家たちが形而上学にハマってしまっていることを指摘するが、「形而上学から、抜け出そう」とは書かない。「形而上学から抜け出せると思いこむこと自体が、形而上学的な話だ」という。

著者は、デリダの「マルクスの亡霊たち」を参照して、哲学したいなら「自らの形而上学に自覚的であるべき」だとする。はじめっから、自分の信仰に基づいた話に「信憑性」や「権威」を持たせるために、「思想・哲学」を使うのは本末転倒であり、「思考過程」こそが、哲学にとっては大事だと説く。

いろいろな思想・哲学を参照して、“自由”に考えた結果、最終的にたとえば左翼の言説とかぶってしまっても、「自分は○○という形而上学に依拠した考えを持っている」と反省的になれるかが、肝心だという。それが、哲学的な振る舞いの上で、重要なのでしょう。

本書のあちこちで「信仰」のデメリットとして、「自分の信仰体系や世界認識が他人に受け入れられないと、その他人を暴力的に排除しようとする」ことを述べている。だからこそ、著者は「擬似宗教」になってしまうことに批判的になっていると思われる。

そうした狭量なありかたにならないための方法として、「哲学的になる」という戦略があるのだ、ということを本書から学びました。また、現代思想の知識も得られて、一挙両得です。すごくざっくり言うと、ギリシアにおいて真理の探究として始まった哲学は、近代西欧において人間の本質として「理性」をその学究の中心テーマとして見出すが、ポストモダン思想は、そのような＜”理性のより真なる現れ”を追求し続ける弁証法的な発想こそ、価値観の異なる他者に対して「真理」を押し付け、順応させようとする「理性の暴力」の発露だ＞（p.187）と考えた。

ここでの「価値観の異なる他者」とは、例えば、女性であり、レヴィ=ストロースの発見した「野生の思考」の持ち主であり、サイードの『オリエンタリズム』が描き出した、相対的な「弱者」であった。しかし、ポストモダン（を担いで騒いでいた人たち）は今度は「弱者探し」の暴走を始める。

＜･･･西欧的で近代的な人間観とは反対のところに”真の人間らしさ”があるかのように、「弱者探し」ゲームに夢中になるポストモダン左派的な議論にはまると、かえって形而上学的な話になってしまう。「理性」に代わって、情念、慣習、伝統、共同体感覚、象徴的記号などを”中心的な原理”にしようとする新保守主義的な議論についても、同じことが言える。＞（p.191）

ということで、あらゆるところに「原理主義」に向かう傾向が人間にあるということが書かれている一冊。「『弱者探し』ゲーム」という言い回しはどきっとするね。確かにその通り。最近は地球を弱者にするのが流行ですね。あとは鯨とか。鯨で思い出したが、北京オリンピック期間中は周辺の犬を食べさせる店は犬を出しちゃいけないんだって。＜非倫理的＞に映るんでしょう。個人的には全く犬を食べる気にはならないが。。。その犬食反対のみなさんは、インド人にさ、牛を食べるな、って言われたらどうするんだろうな。政治的にサヨクでもウヨクでもない人、また、どの特定宗教にも属していない人、棄教や転向体験も無い人には、肩に力が入った本書の言い方には、馴染めないところがあります。しかし読みおえると、形而上学(宗教)への抵抗、思想の擬似宗教化への危惧、結論を絶対視する考えに反対する著者の立場が、良く判ります。西洋の核をなしてきた幾つかの思想を、前世紀の何人かの思想家に従って解剖。それらが、比喩的な形象を使って、形而上的な事柄を思考してきた伝統を批判的に分かりやすく紹介しています。

○思想のトピック概念の内包を、自分の日本語の言葉で、読みほぐしています。通常の解説よりも、思想を読む位置が、対象に近いようです。新鮮な感じがあります。○思想を紹介する際に、自分の立ち位置を明示し、他の批判に予め備える姿勢があります。紹介の眼差しが、思想の中味だけでなく、広い視野に向けられています。違う立場から読む人にも、判りやすくなっています。○思索の方向は、正当で伝統的です。今まで思索しつづけきた結果を公にしても、それは思索過程の1里塚であり、不完全な根拠しか持たない。絶対的だと信ずるべきではない。しかし逆に、全てが相対的だと絶対視はせずに、あくまで根拠を求めて窮め続ける。生きる上で拠らざるおえない形而上的事柄への判断は、それが無根拠だと自覚して、自分の形而上学的な前提を明確にして、生きることが大事のようです。こう見ると、西洋哲学を貫く原初からの大きな流れの中に､著者は確かにいるようです。


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<title>＆lt;子ども＆gt;のための哲学 講談社現代新書―ジュネス</title>
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<description>この本を最初に読んだ時は、何か深いことを考えているように思いましたけど、僕なりの哲学もどきを持った今となっては「永井の言ってることっておかしくない？」と思うだけです。そして、それが正しい読み方である...</description>
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この本を最初に読んだ時は、何か深いことを考えているように思いましたけど、僕なりの哲学もどきを持った今となっては「永井の言ってることっておかしくない？」と思うだけです。そして、それが正しい読み方であるということも、この本に書いてあったと思います。

この本に共感したなら、それはあなたが自分で哲学をしていないからです。まず入り口としてこの本を読んでみて、真剣に永井の与太話につきあい「そうじゃないだろ」とつっこむことが出来る方は、哲学者向きだと思います。しかし、哲学することが良いという考えは、哲学をする人々と、哲学をするあなた自身が決めた、（この本で言う）”道徳”に似た、勝手な価値観だということも忘れないほうが良いでしょう。 この本には星をいくつ付けても足りません。僕の今までの人生の中で（と言ってもまだ15年ですが）出会った本で、これほど共感し、感動し、知的興奮を覚えた本はありませんでした（大袈裟だと思われるかもしれませんが、本当です）。
 この本では、哲学は、（大人になるにつれて忘れてしまうような）＜子ども＞の問いを持ち続けることで誰でもできることだと書かれています。
 永井さんは「なぜぼくは存在するのか」「なぜ悪いことをしてはいけないのか」という問いを具体例とし、哲学する方法を示してくれています。
 これらの問いは僕も考えたことがあり、長い間、こんなことを考えているのは自分だけだと思っていました。しかし、1人の哲学者がそれらの問題をずっと持ち続け、僕なんかよりも深く考えている、と知って感動しました。
 僕は、第一の問いに対しては、自力では、認識論的独我論のところまでしか行けなかったし、第二の問いに対しては、「人間はみんな利己的だ」というところまでしか行けませんでした。
 また、「なぜ学校に行くのか」という問いに対する「権力関係による」という考えには納得しました。
 日本では「哲学」というと「青年の哲学」のことを思い浮かべる人が多いような気がします。この本は、僕のように＜子ども＞の問いを持った人の背中を押してくれる本として、＜子ども＞の問いを持ったすべての人に読んでほしいと思います。
 
 哲学者の永井均さんが書かれた本。
面白かった！

はるか昔、

「なぜ、わたしは一人しかいないの？」
「なぜ、人は死ぬの？」
「わたしは、どこからきたの？」

などについて、
ただただ、「知りたい」と思ったことはないだろうか？

この本の中には、永井先生が子どもの時に考えた

「なぜぼくは存在するのか」
「なぜ悪い事をしてはいけないのか」

という、２つの問いに対する考察が書かれている。
子どもの時の「知りたい」を、ずっーっと考え続ける事。
そこに、哲学の原点がある。
だから、人の哲学の本を読んで、「人の哲学のまね」をするのでは、本当に自分が知りたかったことに辿り着くことはできない。
自分にとっての重要な問いを考えつづける事、自分の哲学をする事が「哲学」なのである。
自分は、「何も知らないのだ」ということを知っている、＜子ども＞にしか出来ない哲学。
この本を読んで、それを知ることが出来た。

処刑されていくソクラテスの、自分だけが真実を知っているという快感に近い勝利感、そして、偽善の匂いに敏感だったニーチェの道徳的概念体系などの話は、特に印象に残った。

知りたいと願いつづける＜子ども＞へ、オススメの一冊♪
  本書の構成
  ＜第一の問い＞なぜぼくは存在するのか
  ＜第二の問い＞なぜ悪いことをしてはいけないのか

  私は書名から判断して哲学の入門書かと思っていましたが・・・甘かった・・・。

  ＜第一の問い＞は、著者の考察が深すぎてほとんど理解できませんでした。
  「ぼくは存在するのか」なんていう問いは、正直私は人生において一度もしたことがありませんでしたし、
  またこれこそが「哲学をする」ということなんだとまざまざと思い知らされました。
  （この本はこの問いをまじめに何度かしたことがある方にはいいかもしれません）

  ＜第二の問い＞では、

  「道徳という まやかし がなければ世の中はよくならない」

  「たとえ まやかし であっても
   みんながそれを信じているほうが世の中がよくなるような、そういう＜うそ＞というものがあるのだ！」
  という著者の叫びは心に響きました。
  著者は気づかぬ方が幸せなのに道徳の本質というものに気づいてしまったようです。

  確かに人生には、真実を見てみぬフリをして幸福追求の道を選ぶのか、
  それとも真理(真実)を追究して幸福追求をあきらめるのか・・・
  この二者択一を迫られる場面がたくさんある。

  哲学者という者はこのバランスがとれない、というより見てみぬフリは絶対できない、
  共感ゲーム(中島義道氏の本に頻出）なんて嫌だ、
  「ほんとうのこと」を知りたい、つまり真理追究の道を選ぶのであろうと思う。
  
  ≪「生きづらい人へ」-憔悴した心を鷲掴みする本の紹介-≫ なるブログを書いてます。 
              興味のある方よかったらどうぞ覗いてみてください。 プロフのリンクからどうぞ。「君の恐ろしいというのは、恐ろしいという言葉を使っても差支えないという意味だろう。実際恐ろしいんじゃないだろう。つまり頭の恐ろしさに過ぎないんだろう。僕のは違う。僕のは心臓の恐ろしさだ。脈を打つ活きた恐ろしさだ」
 私は兄さんの言葉に一毫も虚偽の分子の交っていない事を保証します。しかし兄さんの恐ろしさを自分の舌で甞めて見る事はとてもできません。 

夏目漱石 「行人」より

この本は漱石のこの記述を哲学で追及した労作である。

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<title>「哲学」のゆくえ―近代認識論から現代存在論へ</title>
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<title>「名」と「恥」の文化―中国人と日本人 (1971年) (講談社現代新書)</title>
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<title>「切れ」の構造―日本美と現代世界 (中公叢書)</title>
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<title>「私」のための現代思想 (光文社新書)</title>
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<description>本書は論旨も明快で、読んで飽きない魅力を持っている。私は本書の要旨を次のように理解した。
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本書の目的は、哲学の根本的な問題＝「私はいかに生きるか？いかに死ぬか？」の解決である（p.6）。その...</description>
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本書は論旨も明快で、読んで飽きない魅力を持っている。私は本書の要旨を次のように理解した。
＊＊＊
本書の目的は、哲学の根本的な問題＝「私はいかに生きるか？いかに死ぬか？」の解決である（p.6）。その「問題」＝「生死」を解決するのが「道具」＝「思考」＝「論理」＝「言語（i.e. 「現代思想」の考え方と思考の枠組み）」である（p.21）。この問題が解決すれば「正しく生きる、正しく死ぬ」と言う場合の「自分の内部での正しさ」に近づき、解決できなければ問題は束縛となって「自分の自由が損なわれる」ことになる（p.29）。この「問題」＝「束縛」を解決するために「闘う」（p.7）という方法を選択する場合、「武器（道具）」＝「思考」＝「言語」＝「論理」（p.30）を用いて考えると、＜私たちが「Aという事物や制度の束縛”から逃れる方法＝「Aの所有者となる」こと＞になる（p.31）。問題が解決した場合、私たちの「正しさ」は「超越確実性言明」が支えている（p.213）。
＊＊＊
ところが、本書の最初に掲げた「問題解決の筋道」（p.9）には「超越確実性言明」としか思えない論理がある。その筋道は、“１）「問題」の外形をつかみ、大まかな「解決方法」を想定する、２）その問題を発生させている「原因や理由」を考える、３）私たちに与えられている「方法・武器」について考える、４）その「方法・武器」の使い方について考える”、である。この筋道を釈尊の「四聖諦」と比較すると面白い。１）は「苦聖諦」、２）は「集聖諦」と対応するが、３）と４）は「滅聖諦」や「道聖諦」と対応しない。つまり原因解明は釈尊に肉薄しているが、解決方法に敢えて「闘う」ことを選択したので“束縛原因の所有者となるために闘う”ことが目標となり、その手段となる「武器」に終始してしまったと思われる。著者が選択しなかった「抑圧をなくすこと・自由を回復すること（i.e. 抑圧の除去・制御）」（p.6）であれば、“束縛原因を制御できるように成長”することが目標となるので「滅聖諦」や「道聖諦」にも対応し、筋道の論理に無理がなくなると思うのだが…。
そして、“「超越確実性言明」は私たちの「正しさ」を支える”（p.213）と言うが、論理の「無限後退」を止めていた「絶対者・真理」は“絶対静止している不変の「絶対者・真理」”であり、「超越確実性言明」は“無限運動（輪廻転生）している可変の「絶対者・真理もどき」”と見分けがつきにくい。その場合は、ゼノンのパラクスに陥るので、釈尊が批判した六師外道の4人（唯心論者、運命論者、唯物論者）と同様に、「道徳否定」を招く恐れが大きい。
内容について、またその質については、他の方のレビューを参考にして戴きたい。

私は、この本は夜に1人で読んではいけない本だと思う。夜の闇は、『思索』の仮面を被ったネガティブな興奮に襲われやすい。この本は、そうした状態に近づき易い、あるいは襲われ易い心理状態を作りだす。この本は自殺の本ではなくて、倫理学の本であろう。
すなわち、私はいかに生きるべきか、という問題。

倫理学と法哲学の差異は、前者が個人一人一人の問題を扱うのにたいし、後者が社会全般の問題を扱うという点がある。
本書は倫理学の本である。法哲学ならば小林和之「「おろかもの」の正義論」をオススメする。

内容は、タイトルに「現代思想」とあるように、ハイデガー、リオタール、ウィトゲンシュタイン、レヴィナスなども取り扱われる。
また、言語・価値・社会による束縛、世界と物語、自己の身体、他者など、わりと抽象的な話を噛み砕いて書いている。
より具体的なテーマを扱っている倫理学としては、山口意友「正義を疑え！」がある。

第１章「「私」を縛るものは何か」だけでも読む価値は十分にある。この本では現代思想を簡単に知ることによって「私」を理解することがテーマなのだが、それを通して本書の帯にもあるように、「正しい自殺」と「正しくない自殺」の違いを論理的に理解できるようになっている。普通に生きていくうえでこの分類は意識する必要はないのだが、実際、磐石な≪私≫のうえに頑強な超越確実性言明（「無根拠」に信じ、主張することしか出来ないようなもの）が健康的に立ち上がっていればいいが、その土台が揺らぐ可能性がある場合、論理的にその帰結を知ることができれば、さまざまな解決策が取れるようになる。（この場合の「正しい」は個別の価値による正しい。社会一般の「正しい」とは違う）
私という問題について書かれています。よく考えると、「私」というのはどういうことをさすのだろうかと言うことを考えることが出来ます。ハイデガー、ヴィトゲンシュタインなどを利用しながら「私」ということを考察して「私」「他者」「死」について考えています。読んでみて改めて私ということについて考えてみました。
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<title>我が青春、苦悩のおらびと歓喜―共産主義と人間実存の狭間での苦闘十年</title>
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<title>老子と現代物理学の対話―21世紀の哲学を求めて</title>
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<title>乱世に生きる中国人の知恵 (1965年) (講談社現代新書)</title>
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<title>現代思想の境位</title>
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<title>相対主義と現代世界―文化・社会・科学 (唯物論研究年誌)</title>
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<title>野生のアノマリー――スピノザにおける力能と権力</title>
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<description>待望の翻訳だが内容面での疑念もある。

スピノザの無限の理解が肝だということをネグリが意図的に無視しているということだ。

スピノザのエチカの第２部定理８備考(円内の任意の線であるDとEの矩形は無限...</description>
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待望の翻訳だが内容面での疑念もある。

スピノザの無限の理解が肝だということをネグリが意図的に無視しているということだ。

スピノザのエチカの第２部定理８備考(円内の任意の線であるDとEの矩形は無限に存在し得る)の説明は、一つの実体に対し無限の様態がありえることをうまく説明しているが、様態の実体への依存、これがネグリには不満なのだ（様態はネグリにとってマリチチュードそのものだからだ）。
しかしこれは単純に考えて公理系を共有する意志の現れなのだから無視できないはずだ。

その点、柄谷行人のほうがわかりやすく説明している（『探究２』）。

ただし、最新の研究を一応踏まえている本だから、ネグリの議論が無効だということにはならないし、日本のほとんどの専門家によるスピノザ研究書より本書は一歩先にあると思う。

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<title>ヤクザの実戦心理術―なぜ彼らの言いなりになってしまうのか (ワニ文庫)</title>
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<description>タイトル的にはちょっと危ない印象を持つかも
知れませんが読んでみるとなるほどと膝を打つ
ような心理的駆け引きの仕組みが解ります。

大きな声で怒鳴るとかではなく押して引いて
上手く誘導といった感じで...</description>
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タイトル的にはちょっと危ない印象を持つかも
知れませんが読んでみるとなるほどと膝を打つ
ような心理的駆け引きの仕組みが解ります。

大きな声で怒鳴るとかではなく押して引いて
上手く誘導といった感じで同じ条件でも錯覚
させて軽く見せたりと色々な事柄が解りやすく
読みやすい文章で書かれています。

読んでおくと今まで気付かなかった心理的な
駆け引きのツボが見えるようになるので色々
役立てることが出来ると思います。

例えばビジネス文書などでもちょっと視点を
変えて書いたりしてより相手に訴えかける様に
したりとかで生かせると思います（と言うか
そう心がけるようになった）。

つまり、まんま実践するのではなく（そりゃ
そうだ）、普段無意識に働いている心理的な
流れを意識して新たな視点を持てます。

こういう心理的なものの本は沢山出てるけど
読みやすさの点でもなかなかいいですよ。

タイトル通りまさに「実戦」の心理術の本ですね、「実践」では無く。「実社会では、論理よりも心理戦に強いものが勝つ」ということを教えられた気がします。

読み物としても非常に面白かったですし、心理戦の本としても優れていると思います。自分で本書のテクニックを役立てるのも悪いことでは無いと思いますが、それよりも、成程こういう「駆け引きのテクニック」があるんだな、ということを知っていれば、自分自身を守るのに役立つでしょう。心理学というのはとても幅が広い。恋愛の駆け引きも心理戦であるが、ビジネスにおいての駆け引きは対顧客、対社内と複雑極まりない。そんな中、私はなにげに過ごしていたが、、、『ヤクザ』という別世界と思える人たちを実例に、言葉の駆け引きを多様な角度で説明してくれている。その内容は、決して別世界のものではなく、現実社会で普通にありそうなことにいくらでも応用が利く内容であった。今後のビジネスに使えると思う。文章もテンポよく、通勤電車で読むのにとてもよかった。
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<title>ヤクザの実戦心理術 金融地獄編 (ワニ文庫)</title>
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<title>ヤクザが消滅しない理由。</title>
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<title>モンテーニュ遠近</title>
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